「日本の岩と石」として1ページのコンテンツでしたが、 カテゴリーが増えたため分離独立させました。 |
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「日本の岩と石」は日本国内での岩と石を取り上げています。 日本国内の神社に纏わる岩と石、寺院に纏わる岩と石、温泉に関わる岩と石、その他の岩と石を載せています。 セラミックボールでの人工風呂との比較で温泉に通って以来、時間を無理やり作って温泉巡りが趣味となりました。 いやいやあくまで仕事で・・・。 出張の折りには、温泉のない地域なら、無理やり日帰り温泉を組み込みます。 「常在温泉」が理想像ですが、そうは問屋は卸してくれません。 |
高湯温泉(福島県 福島市) |
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また、お寺や神社によく行きます。 信仰心は全くありません。宗派や系統などまったく関係がありません。 特定の宗教団体には絶対所属しません。 お寺に行くとなんとなく落ち着きます。 神社に行くと凛とした気分になります。 その原因は、お寺なら祈り、神社なら願掛けに訪れる場所であり、祈りや願掛けをすると、人々の祈りのエネルギー、神社なら願掛けのエネルギーが、本殿や本堂にどんどん蓄積されて、そのエネルギーが地層のように蓄積されて、落ち着いた気分になったり、凛とした気分になる源泉であり環境を形成しているのだ。 と解釈しています。 これはヨーロッパの教会やカテドラル、タイの寺院に行っても同じ感覚です。 ただ、アメリカの教会はビジネスの想念の方が優っているように見受けられます。 祈りや願掛けのエネルギーは、目にも見えず、質量もないものだと考えています。 周波数を計測することが出来れば、各々の寺院や神社の固有振動数が測れるかもしれません。 にも拘らず、お寺や神社に留まる振る舞いが出来るエネルギー。 例えるならば、デジタルカメラで写真を撮ると、どんどん記憶媒体に、画像情報が記録されてきます。 しかし、デジタルカメラの質量は変わりません。 もし、画像情報に質量があるとすれば、撮れば撮るほどデジタルカメラは重たくなるはず。 100枚も撮ると、持ち歩けないほどの重量となります。 祈りというのは、質量の無いデジタルカメラの画像のようなものだろうと解釈しています。 ただ、エネルギーの存在自体は証明することはできません。 なので、解釈です。 妄想です。 では、お寺と神社と温泉が、関係があるのか? という疑問が沸いてまいります。 温泉には、温泉寺があり、温泉神社が存在します。(寺社名称は温泉地により異なります) 再興の動きもあるようですが、現代では湯治も廃れています。 昔の湯治の目的は病気治癒なので、湯治客の主観で、お寺の薬師如来にすがる人、神社で大国主命や少彦名命に病気治癒を祈願するのが一般的です。 温泉関係者は、温泉寺や温泉神社に、「どうぞ温泉の枯れることなく沸き続けていたたきますように。」や「宿泊客数が伸びます様に」が目的になります。 温泉を中心にして、そこに集まる人々にとって心の拠り所が温泉寺であり温泉神社なのです。 |
城崎温泉 温泉寺(兵庫県 豊岡市) 伊香保温泉 伊香保神社(群馬県渋川市) |
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「日本の岩と石」というテーマですが、ちょっと視点を変えて面白い話。 あなたのいつも乗っている自動車を思い浮かべてください。 ボディとシャーシの鉄板は、原料は鉄鉱石です。 ボンネットやタイヤホイルがアルミニウムで出来ていれば、原料はボーキサイトという鉱石です。 部品間の接合やパッキンの代わりにシリコンが使われていれば、原料は金属珪素です。 車の制御のためにコンピーターが搭載されていれば、半導体はシリコン製で、内部に金や銀が使われています。 金や銀も、バッテリーの中の鉛も、ご存じのとおり鉱石から精錬されています。 亜鉛やマグネシウムも鉱石から。 おまけに、エンジンオイルは化学合成では無く、鉱物系を使っているかもしれません。 陶器製の自動車部品専門に作られている製陶所さんに遊びに行くと「これ 何処の部品?」と訊ねると「どこかねえ。 わからんねえ。」と回答されます。 恐らくユーザーには見えない部分なのでしょう。 自動車の車の部品で、明確にセラミックスだと判るのは、プラグの上部に付いている絶縁体としての白い碍子ぐらいでしょう。 で、運転席に座ると、目の前にセラミックスの部品が目に飛び込んできます。 目の前にあるフロントガラス、横のウィンドーガラスなどガラス製品は、二酸化珪素を主原料とするセラミックスに分類される製品です。 セラミックはセラミックス、ガラスはガラスと考えがちですが、実はガラスはセラミックス製品です。 二酸化珪素は鉱石に含まれており分離されて焼成されてガラスとなります。 岩や石が身近なものになって来られましたか? ちょっと、面白い想像をしてみてください。 金属ではなく、原料の岩と石のまま、自動車が出来ていれば、何トンの自動車ができるのでしょう。 航空機や船が原料の岩と石のまま出来ていれば、空中に飛びあがれません。 浮いていられません。 日本の神代には、高天原(たかまがはら)から葦原中国(あしはらのなかつくに[日本])へ来るための乗り物は、岩石で出来た磐船で着たというのが日本書紀に出てきます。 案外、岩石で乗り物も作れるのかなと思案中。 事故したときボディは衝撃には脆いでしょう。 運転者は衝撃をそのまま受けるので無事では済まなさそう。 思案中。 |
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日本は八百万の神の国で、記紀の昔より、岩にも石にも神様が宿っていると考えられています。 「お天道様はいつも見ている」に象徴されるように、岩にも石にも神が宿り、人々はいつも神様に見られているので生活出来ているのだ。 と。 すでに信仰というより文化にまで昇華された意識です。 そんな神々の中から岩の神様と石の神様の姿をご紹介いたします。 誤解されると困るので、未だに私は岩と対話することも出来ませんし、石に頬ずりをすることもありません。 |
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お寺で見つけた日本ならではの岩と石のご紹介。 お寺の岩と石で、生まれ変わったり、願掛けしたりと、信仰の対象として岩と石は全国にあります。 神社では古神道の磐座信仰から岩や石への信仰がありますが、お寺でも、岩と石が信仰の対象となっているのは、神仏分離された期間より神仏合体の期間が長かった名残りでしょうか。 |
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セラミックボールを入れた風呂と本物の温泉の感覚の違いを試すために、放射能泉に入浴して以来、温泉巡りがライフワークとなりました。 いやいや、あくまで仕事のため・・・。 日本は海外からの旅行客が鰻昇りですが、日本観光の最大の資源は温泉だと個人的に考えています。 しかし、温泉は、その鮮度と温泉そのもの以外の雰囲気、空気を体験するためには、その温泉に行き入浴しなければなりません。 最強の観光資源だと確信しています。 ここでは、温泉そのものではなく、温泉に纏わる岩と石に視点を当ててご紹介いたします。 |
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「日本の岩と石」のその他編です。 岩や石でも珍しい物や、神社、寺院、温泉以外の日本の岩と石。 単なる岩でも、その岩に固有名称が付けば、立派なランドマークとなります。 観光資源ともなります。 観光資源となった岩の前に祠と賽銭箱を設置すると、自然とお賽銭が入ると言う不思議な文化ですものね。 |
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長々とお読みいただきありがとうごさいました。 |
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