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日本は八百万の神の国で、記紀の昔より、岩にも石にも神様が宿っていると考えられています。 「お天道様は見ている」に象徴されるように、岩にも石にも意識があり、人々はいつも神様に見られているので生活出来ているのだ。 と。 すでに信仰というより文化にまで昇華された意識です。 そんな神々の中から岩の神様と石の神様の姿をご紹介いたします。 誤解されると困るので、未だに私は岩と対話することも出来ませんし、石に頬ずりをすることもありません。 |
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横瀬の田之神様(鹿児島県霧島市牧園町) |
横瀬温泉 共同浴場を探索していますが見当たりません。 ナビも「近くまできました。」とアナウンスした後は、寡黙のまま。 「ええ加減にせいよ。」と怒り心頭のピーク。 左側のウィンドウから見えました。 小さな祠がありました。 ここで聞き込みをしょうと車を降りました。 「こんにちは。 おじゃまします。 摂津から来た旅の者でございます。 温泉が判らずに難儀しております。 ちょっと お尋ねいたしますが、この辺に共同浴場はございませんか。」と丁寧に尋ねたにも拘わらず、ニコニコ笑ってやがる。 ふと 見ると「横瀬の田之神像」と立て看板にあります。 これは失礼しました。 神様に温泉を尋ねたのかと。 日本の神様というのは、願いを叶えてくれることもありますが、命を取られることもあります。 自分の名前の下に"命(みこと)"と付けられたら、自分が神様になっても割に合わん。 「触らぬ神に祟りなし」ですので、そそくさと後づさりします。 |
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霧島市教育委員会が設置した看板には、下記のように書かれています。 横瀬の田之神像 江戸時代の農民が神にすがって農作物の豊作を祈るために造られた田之神さまで、大きなメシゲを持ち落ち着いた像である。 文化十二年(1815)の銘がある田之神像は南九州独特のもので土地の人々に信仰されている。 はて。 「大きなメシゲを持ち落ち着いた像である。」とありますが、「落ち着いた像」なのかなあ。 それは霧島市教育委員会の意見。 そもそもメシゲって何。 と。 「南九州独特のもの」とありますが、日本は八百万の神が護る国。 もう少し全国的に配置を考えたらどうだろう。 食糧自給率38%の現状では、これは心許ないと思う。 これは、神在月に出雲に行って「御恐れながら」と陳情しょうず。 と。 |
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菊座石 白兎神社(鳥取県鳥取市) |
白兎神社(ハクトジンジャ)は、延喜式神名帳が927年に纏められたので、式内社だと思い込んでいましたが、式外社のようです。 社務所の由来書きを隅々読み込みましたが、肝心なところは謎に包つまれたまま。 まあ、固いこと言い出したら出雲口伝や古神道の話で、判らないことだらけになりますので、ここは観光気分で、由来書きを素直に受け入れましょう。 と。 御祭神は、大国主命と その嫁さんの八上姫(ヤガミヒメ)の二柱と勝手に思い込んでいました。 違うんですよね。 実は。 御祭神は白兎神と豊玉比命、保食神の三柱で、予想と全く違っていました。 |
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白兎神社(ハクトジンジャ)の鳥居に向かって右側に、「道の駅 神話の里・白うさぎ」があり、その付属の駐車場があります。 その駐車場は広くて満車になることは稀です。 道の駅の駐車場に車を停めてトコトコと歩いて白兎神社の鳥居へ80mほどで到着。 鳥居正面から120mほど先に、大国主命(オオクニヌシノミコト)が白兎にガマノ穂で傷を癒してあげた白兎海岸があります。 白兎海岸は、左右に岩島があり火灯しごろの夕焼けが素晴らしい海岸です。 日本海に沈む太陽が名残惜しそうに白兎海岸を照らします。 ボウとするのに最高。 夕闇に包まれた海岸では、意味不明で無駄な行動をしているカップルを時々見かけます。 二人だけの世界がそこにあります。 京都の鴨川で、二人が手を繋いで鴨川を渡河している姿こそ「二人だけの世界」。 すぐそこに橋が掛かっているので、橋を渡ればいいわけですが、それはそれ、「二人だけの世界」の内側に居てる二人だけが価値を共有しているのであります。 二人以外の人にとっては意味不明。 はあ、まあ 心当たりがあるので、おっさんは、ボウと目を細めて眺めるのです。 その意味不明で無駄な行動が羨ましいのです。 |
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白兎神社の鳥居を潜ってすぐ左側に上記写真の大国主命と八上姫と白兎の砂像があります。 だから、大国主命と八上姫を御祭りしているものと勘違い。 今夜は夜伽かな!! この砂像は二代目だそうで、何とも見事です。 写真の『神話「因幡の白うさぎ」砂像』というプレートは、実際には砂像から離られたところに立っていたものです。 紙面の都合で写真を合成しています。 |
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鳥居を潜って参道を行くと、参道の両側に花崗岩のうさぎの像が沢山あります。 うさぎさんに、負荷を掛けるように白い石を載せています。 誰のいたずら か。 |
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拝殿横の社務所に行くとうさぎさんイジメの謎が氷解します。 白い石の正体は「結び石」と言う石で、良縁に恵まれるように、うさぎさんに負荷を加えたり、自宅に持って帰ったりするのだそうです。 なるほど!! |
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さあ!! やって参りました本殿に。 ここに本殿の礎盤としての菊座石があります。 |
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皇室の菊花紋が八重十六条であるにも拘わらず、菊座石は二十八条の花弁を持っています。 菊座石の花弁数は、皇室の菊花紋の十六条を超える数で、不敬極まりない。 しかし、八重十六条なので、八重は「重なる」と言う意味なので、皇室の菊花紋の花弁を三十二条と考えれば、納得が行きます。 皇室の菊花紋は、表十六条、裏十六条で、計三十二条。 この菊花紋の礎盤が根拠となり、白兎神社が皇室と関係があったのだと言われています。 正直、どうなんでしょうね。 謎は謎のまま、古代のロマンとしてそっとして置けばいいのでしょう。 しかし、どうでしょう。 927年に纏められた延喜式神名帳に記載がない。 そして、創建の時期は不明ですが、神社の由緒書きに、「和銅5年」という和暦が登場します。 西暦に直すと712年になりますので、延喜式神名帳に記載が無いのは、どう言うこと? と疑問に感じます。 どう お考えになりますか? |
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上記写真は、兵庫名物「野路菊の里」というお菓子です。 野路菊は兵庫県花です。 のじきく国体の野路菊です。 野路菊の里は、十二条の花弁を持っています。 これも皇室と関係があるのでしょうか。 有るんですね。 これが。 上皇陛下が皇太子殿下だった昭和五十九年三月十九日にポートピア博の開会式に御光臨の際に、野路菊の里を茶菓子として出されたお菓子。 私も兵庫県民ですが、野路菊の里は知りませんでした。 岡山県日生にカキオコを食べに行ったとき、たまたま立ち寄ったSAで野路菊の里が販売されていたのを買いました。 茶菓子として出しても、奥ゆかしく十二条です。 白兎神社の菊座石 気になりますよね。 |
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万治の石仏(長野県諏訪郡下諏訪町) |
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石仏なので、日本の岩と石 寺院編へ掲載しなければならないのじゃないの? と思いましたが、近くの諏訪大社下社春宮があり諏訪大社との関係で神社編に載せました。 諏訪大社下社春宮の鳥居をくぐり、左手にある路を川沿いに歩くと最初の赤い橋が見えます。 その橋を渡ると、子供たちが川遊びをしています。 街のど真ん中で飛込が出来る。 羨ましい。 すると、2つ目の赤い橋が見えますので渡ります。 これ三途の川を渡っているの? ちょっとドキドキ。 赤い橋を渡って右手の細い一本路を行くと、万治の石仏にたどり着きます。 |
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万治の石仏と伝説(下諏訪町 建立) 南無阿弥陀仏万治元年(西暦1660年)11月1日 願主明誉浄光心誉廣春 伝説によると諏訪大社下宮(春宮)に石の大鳥居を造る時この石を材料にしようとノミを入れたところ傷口から血が流れ出したので、石工達は恐れをなし仕事をやめた(ミミ[*1]の跡は現在でも残っている)その夜石工の夢枕に上原山(茅野市)に良い石材があると告げられ果たしてそこに良材を見つける事ができ鳥居は完成したというのである。石工達は、阿弥陀如来をまつって記念とした。 尚、この地籍はこの石仏にちなんで古くから下諏訪町字石仏[*2]となっている。 下諏訪町 [*1]文章の流れから解釈すると「ミミ」ではなく「ノミ」だろうと思います。 誤植かな。 [*2]石仏さん。 すいません。現在の行政区は「下諏訪町字石仏」ではなく、「長野県諏訪郡下諏訪町社133」です。 |
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卍が逆になっています。 これではナチスドイツです。 はてな。 真ん中は流水でしょうか。 手は印を結ばれています。 顔らしい意匠。 太陽? 日光菩薩? 月? 月光菩薩? 味わいある石仏様です。 ♪こんにちは こんにちは 世界の国から。 で有名な大阪万博(EXPO'70)の太陽の塔のデザインを設計した岡本太郎氏が大絶賛した石仏だそうで、「万治の石仏は爆発だ」と言ったかも。 |
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時計回りに3周しました。 1周目は、ノミの跡はどこかと探しました。 2周目は、今日の昼は蕎麦だね。 3周目は、次の温泉は「下諏訪温泉 旦過の湯」がいいね。 おっとと。 願い事を忘れた。 私は神社に行って願い事をしたことはありません。 湊川神社に行けば「楠木正成 大楠公 ありがとうございます。」と願うだけ。 呼び捨てにしていますが。 すべて「ありがとうございます」で済まします。 願い事をして成就した時は、お礼参りに来なければなりません。 そんな時間ありませんので。 |
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正面の写真は沢山インターネット画像が有りましたが、背中側がどうなっているのか気になりましたので、撮って見ました。 相変わらず、ノミの跡は見当たりません。 玄武岩でしょうかね。 |
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室生龍穴神社 ご神体(奈良県宇陀市) |
室生龍穴神社 ご神体(奈良県宇陀市) 日本には岩をご神体とする神社が各地にあります。 訪ね歩くのも楽しいもの。 |
元来、このご神体の穴から、放射線が検出されるというので、飛んで確認にいきました。 メーターはピクリとも動きません。 近くに女人高野 室生寺があり、国宝の五重塔を拝観することができます。 五重塔は、周りの環境と溶け込み、非常に美しく、不思議なのは、五重塔への登り坂の下から見ると大きく映るのですが、登り切って五重塔を見ると、それほど巨大でもありません。 誠に不思議な体験。 |
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櫛田神社の力石(福岡県 福岡市) |
櫛田神社の力石(福岡県福岡市) |
博多総鎮守の櫛田神社は博多祇園祭りで博多山笠の出発の地。 力石(ちからいし) は”鉱石”というより石ですが、 昭和三十七年二月 福岡県文化財指定 昔当社では、卯の日相撲が盛んに行なわれ多くの有名力士が力自慢に持ち上げた石を数多く奉納した。 文政十三年は方麹屋番に住んでいた怪力相撲取 飛梅が六十一歳の時に奉納した力石が有名である。 又、平成十二年に御遷宮を記念して近年有名な力士の力石が奉納された。 第四十八回式年 遷宮記念 力石 (出典:力石碑石) 「近年有名な力士」には、写真一番手前の力石碑石の左下は第六四代横綱「曙太郎」、その隣が第六二代横綱「大乃国」、真ん中に第六八代横綱「朝青龍」の名前が見えます。 とてもとても持ち上げることなど不可能、関取には金輪際 喧嘩は売らないことを肝に命じた!! |
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伊弉諾神宮の力石(兵庫県 淡路市) |
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淡路島は、日本で最初に作られた島。 ここから日本列島が作られました。 その淡路島の一の宮である伊弉諾神宮です。 主祭神は伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)の2柱。 現代風の日本初のご夫婦の神様。 と言えば、なかなか伊弉諾でイザナギと読めませんでした。 通常、伊邪那岐なので、道路標識のローマ字で、「ここが伊邪那岐神宮だ。」と納得。 頭の中では変換せず伊邪那岐のままです。 ちょっど七五三の時期で、家族連れで一杯。 かわいい子供たちを見れたのもいい思い出。 「ワシの年金は君達の双肩に掛かっておる。 一刻も早く納税者として育つように!」と子供を連れてきたご両親やご祖父母の方々とは違う視点で、目を細めて優しく眺めていました。 また、七五三のこの時期で良かったのは、七五三の正式参拝で本殿と拝殿の中間の広場で神楽が見られたこと。 降神詞から始まって、神楽まで、ゆっくりと滞りなく見せていただきました。 石見神楽の大ファンなので、血沸き肉躍る神楽を期待していましたが、間違っているかも知れませんが、四方拝の繰り返しで厳かな神楽であります。 身が引き締まる。 石見神楽とは違う様式美。 巫女さんが電動スケートボードに乗っているような足運びなので、足はあるのか。 と凝視。 さて、伊弉諾神宮にもありました。 力石。 力自慢を奉納するのでしょう。 やってやれないことは無いのだ。 早速トライしましたが、力石はびくとも動きません。 代わりに、わが腰がピクピクと動きます。 「今日は、これぐらいにしといたるは・・・」と捨て台詞を残して退散。 「今日は、これぐらいにしといたるは・・・」は吉本新喜劇の池乃めだかさんが、店にイチャモンを付けに来たチンピラのお兄さんたちに立ち向かって、完膚無きまでにボコボコに殴られます。 しかし、池乃めだかさんは、元気に立ち上がって勝ち誇った態度で「今日はこれぐらいにしといたるは」と言うギャグ。 関西では定番。 関西ではド カ ンと受けます。 |
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夜なき石 貴志御霊神社(兵庫県 三田市) |
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その昔、境内にあった石(夜なき石)が殿様の目にとまり屋敷の庭石に使われたところ、夜になると、「貴志に帰りたい。 貴志に帰りたい。」と泣いて殿様をこまらせた。 そして石(夜なき石)は元の貴志に帰ってきた。 と言われている石です。 夜なき石のある貴志御霊神社は、兵庫県三田市にありますが、その場所がまた微妙な位置です。 三田市は、ヨーロッパの都市のように、旧市街と新市街に分かれています。 旧市街は三田藩(九鬼氏)の城下町、新市街はニュータウンと呼ばれる合理的で良く設計された街。 旧市街と新市街の大きな違いは、旧市街は神社やお寺が点在した街で新市街は一切の宗教施設が無い街で、本当に日本人が設計した街かなあ。 と不思議な街。 貴志御霊神社は、旧市街と新市街の境目にあります。 もう少し、新市街が張り出せば、貴志御霊神社を新市街に取り込めたのに・・・。 |
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さざれ石 和気神社(岡山県 和気郡和気町) |
♪君が代は 千代に八千代に さざれ石のいわおとなりて こけのむすまで 申すまでもなく、我が国歌「君が代」に登場する さざれ石です。 こんな大きな さざれ石を初めてみました。 当地 岡山県和気町は、和気清麻呂の生誕地だそうです。 で、和気清麻呂って誰? と質問して社務所の方の顔が引き攣った。 |
和気清麻呂については、「道鏡事件」でググってください。 あまり面白い話ではないし、不敬でもあるので書きたく無いのです。 結論は、「和気清麻呂さんって素敵!!」となるはずです。 |
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さざれ石 北野天満宮(京都府 京都市) |
北野天満宮の東側にある駐車場の真北にあります。 さざれ石の表札。 北野天満宮の "さざれ石" |
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さざれ石 武田神社(山梨県 甲府市) |
囲いが狭いので全体が撮れない |
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さすが武田信玄の館跡にあるさざれ石です。 無骨。 |
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さざれ石 霧島神宮(鹿児島県 霧島市) |
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国歌に詠まれている「さざれ石」 この石は学名を石灰質角礫岩と云う、石灰石が薄いに溶解してその石灰分をふくんだ水が時には粘着力の強い乳状体となり、地下において小石を集結して次第に大きくなる。 やがてそれが地上に顕れて国歌に詠まれる如く、千代、八千代に 年をへてさざれ石巌となりて苔のむすと云う状は、実に目出度い限りである。 この石は、国歌発祥の地と云われる岐阜県揖斐郡春日村の山中で発見されたもので、その集結の過程状態はこの石を一見してよく察することが出来る。 右の文章は昭和三十七年文部省の中庭に贈呈された「さざれ石」の木札に記されたみのと同文であり、国歌に詠まれている「さざれ石」については岐阜県揖斐川町出身の故小森宗一氏によって発見解明されました。 昭和六十二年 天皇誕生日 奉納者 岐阜県揖斐川町 小林文治 岐阜市鷺山 橋田 正道 鹿児島県柴原 高崎 能明 ここからは私の考察、さざれ石は石灰質角礫岩ということですが、単に礫岩を「さざれ石」というものと思っていたので、びっくりですね。 文章中の「国歌発祥の地と云われる岐阜県揖斐郡春日村」とありますが、現在はさざれ石公園として整備されています。 さざれ石公園はGoogleMapで御覧いただけます。 住所:〒503-2503 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日川合 さざれ石公園 しかし、奉納者の方々は、今世に名を残されましたね。 人は死して名を残す!! 御存命なら失礼。 |
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石の宝殿 生石神社(兵庫県 高砂市) |
兵庫県 高砂市にある生石神社(おうこしじんじゃ) |
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生石神社の中を進むと本殿があります。 本殿の奥に日本三奇 石の宝殿が鎮座しています。 |
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本殿の入口で志納料100円を払う。 中に入ると、いきなり「石の宝殿」が鎮座しています。 石の宝殿は、国指定文化財に指定されています。 石の宝殿のサイズは、一辺7mの四角形で高さは6m。 重量は推定500-700トン。 写真を撮っても、すべて入り切らないサイズです。 |
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石の宝殿の東西の面に上から下に溝が切ってあります。 上記の写真は北面にある突起物。 ピラミッドを横に着けたような形状です。 |
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石の宝殿は「浮石」とも呼ばれています。 浮石の由来は、写真のように池に浮いているように見えるためです。 |
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石の宝殿の横にある霊岩。 第40代アメリカ合衆国大統領 霊岩。 ふざけていると消されるかも。 |
生石神社略記から意訳 大穴牟遅神(おおなむぢ[大国主神])と少名毘古那(すくなひこしん[少彦名神])の二神が、出雲大社(島根県出雲市)より、国土経営のために高砂市に出張し、高砂市の拠点として石の宮殿の建築に掛かり、現行の石の宝殿を一夜で切り出したが、敵対する他の神の反乱に会い、その戦闘により他の神を制圧し高砂市を平常に戻した。 建築途中の石の宮殿は、現行の石の宝殿で中断したまま現在に至る。 二神は、「石の宮殿は未完成ではあるが、この石の宝殿を以てこの地を鎮める。」と。 ここからは、私の個人的意見。 大国主神と少彦名神のコンビネーションは、温泉地でよく祀られている神様。 大国主神は、国全体を担当する神様で、現在の日本でいえば、内閣総理大臣。 少彦名神は、大国主神から、医薬品、温泉や酒造を任せられている大臣。 現在の日本でいえば、厚生労働大臣と環境大臣、財務省の主計官を兼務している神様。 これは神様でも激務でしょう。 さて、石の宝殿ですが、工期から見ても、神様といえども二人(二柱)で一晩で、ここまで石を削り出すことは可能なのか。 重機とレーザー切断機を駆使しても、到底一晩では無理。 はたして、この二神は、どこのゼネコンに発注したのか。 なぞ。 最初に石の宝殿を下から見上げた時、1980年に初めて見たIBM370という汎用コンピュターを連想させました。 そして、石の宝殿は、370シリーズの記憶装置に見えました。 ちょっと巨大過ぎる装置ですが。 では、どのようにして石の宝殿に情報を記憶させるか。 石の組成の中には、電子が無数にあります。 その電子を、スピンさせて左に回すと”1”、右に回すと"0"として、メモリーアドレスは、XYの座標に、縦座標Zを加えてアドレスとします。 すると、石の中に情報を蓄えることができます。 データのバックアップは量子もつれを利用して、他所にあるコンピュータと同期をとってバックアップさせる。 夢のようなコンピュータです。 量子コンピューター「生石」の誕生。 富岳より早いです。 世界一の計算速度になること間違いなし。 石の宝殿の横にある霊岩を廻りこむと、石段があり登ると、石の宝殿を上から見ることが出来ます。 神代の時代に他神からの攻撃が有ったのであれば、ひょっとして地対地ミサイルを格納しているケースかもしれません。 大国主神と少彦名神が管轄している土地に対して侵略が発生した場合、石の宝殿からミサイルが撃破対象に自動発射されるかもしれません。 瀬戸内海も近い土地柄ですから、対艦ミサイルも格納されているのかもしれません。 今はミサイルも石化して機能しませんが、本当は百発百中のミサイルかもしれません。 これは、空想に過ぎませんが、神様は現代を超えるテクノロジーを持っていたとしても不思議ではありません。 是非、兵庫県 高砂市に足を延ばす機会がありましたら、ご覧ください。 石の宝殿を叩いたり、覗き込んだりしてはいけません。 ミサイルが機能しだすかも判りません。 |
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今宮神社 今宮の奇石(京都府 京都市) |
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京都市北区紫野にある大徳寺の北側に今宮神社があります。 門の正面から境内に入り、拝殿に向かって左手に阿保賢さんがあります。 阿保賢さんには、今宮の奇石が置かれていて、「摩れば健康の回復を早める」と言われ、持ち上げて軽ければ願いが叶うと伝えられています。 「この石、軽い軽い。」と調子に乗って持ち上げていたので、肝心の願い事をしていませんでした。 由緒書きは、下記の写真のとおりです。 じゃ 重いと感じれば願いは、どうなのよ。 と疑問が沸きますが、それは今宮神社 社務所までお尋ねください。 |
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これが、今宮神社の「今宮の奇石」です。 |
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3度撫でるのが習わしなので、表面は人の皮脂でツルツルとなっています。 今宮神社の参拝が終われば、名物「あぶり餅」も楽しみです。 餅屋さんは、向い合せに二軒あり、双方の集客方法に興味を持ちました。 餅を食べながら、集客方法の研究! 面白い。 お盆にお茶が入った湯呑が幾つかのっています。 「ご苦労様です。 どうぞ どうぞ 休んでいってください。」と、観光客の前へ人の良さそうな笑顔とお盆を突き出す。 見方によっては、往来妨害。 迷惑千万。 道路交通法違反! かな。 ところが、観光客は参拝後のほっとした気持ちと、境内を歩いた疲れで、目の前の突き出されたお盆に吸い寄せられるように、湯呑を手にとり、一言二言話して、すうーと茶店の奥へ。 集客完了。 店へ入ると間髪入れずに「おいくつ いたしましょう。」と尋ねられます。 商品は「あぶり餅」しかないわけで、他の選択肢はありません。 目の前で餅を焼いています。 美味しそうな餅が焼けた臭いが鼻を衝く。 炙り餅を注文する以外、何をすることもないので注文する。 まあ、この手順で店に入ってしまった人間が言うので間違いはないのです。 その手際の良さは、一見の価値ありです。 時間を重ねて、この手法に収斂されたのでしょう。 見事。 今宮神社 〒603-8243 京都府京都市北区紫野今宮町21 https://www.imamiyajinja.org/jpn/imamiya_JPN/toppu.html *京都観光ではメインストリームに成っていない「今宮神社」、「京都御所」、「花背(北山杉)」、「妙心寺」、お勧めします。 特に冬季の花背は、冬景色の北山杉で東山魁夷の世界で最高です。 雪があれば無音の世界。 たまに雪が木から滑り落ちる音。 |
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おもかる石 金神社(岐阜県 岐阜市) |
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岐阜県岐阜市の街のど真中にある金神社(こがねじんじゃ)に参拝いたしました。 岐阜基地航空祭と長良川温泉に行くついでに寄りました。 この書き方は神様から呼び出しを受ける可能性があります。 神様から「ちょ ちょ ちょっとこっち来いや」と声を掛けられて、本殿の裏へ連れて行かれて、「おい お前な・・・」と。 御利益は、ずばり金運、財運上昇。 さすがに鳥居も金色。 その徹底ぶりにびっくり。 次にトランプ大統領が訪日されるときは、この神社で首脳会談をすれば、お も て な し。 彼なら、「ちょっと待ってね。 シンゾウ」と言い、いきなり社務所に行き「気に入った。」とこの物件のディールを申し入れるかも。 社務所の方へ。 境内に金髪で特徴的な髪形の白人が入ってきたときは、要注意。 交渉に入る前に、社務所のシャッターをガラガラ閉店。 オメオメと彼が金神社を買収するのを見ていられるか! |
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金神社の本殿。 本殿前でお参りしている父子。 その右側に孫を取り合いしている2組の老夫婦と1組の若夫婦の一団。 普通の視点では、右側の一団のことを「七五三参り」と呼びます。 この記事の本題であるおもかる石は、父子と七五三参りの一団のちょうど中間にあります。 |
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この石の前で願い事を祈念し石を持ち上げ その時に感じる重さが 自分の予想したより軽ければ願い事が叶い 重ければ叶い難し(おもかる石 神社説明板より) 要は、自家用車を持ち上げると予想をしていれば、すべて軽く感じるはず。 「コガネではなく大金が入ります様に」と願いながら持ち上げたところ、非常に重い。 航空祭で立ちっぱなしで足腰が痛いので、「今日はこれぐらいにしといたるわ」(*1)。 しかし、おもかる石に類するものは全国いたる所の神社仏閣にあるものだな。 と。 *1 大阪の吉本新喜劇で有名な池のめだか氏のギャグ。 チンピラに絡まれて、めだか氏がボコボコに袋叩きにされたあと、勝ち誇るように「今日はこれぐらいにしといたるわ」と立ち上がるギャグです。 知らない方のためにチョット レクチャー。 |
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神社に参拝すると、必ず買う物があります。 おみくじです。 非課税でお得。 金神社には3種類のおみくじがあり、一般的な汎用品のおみくじが100円、もう1つが200円、そして上記写真の金運みくじが300円。 見ず知らずの神様に大金を祈願している手前、清水に舞台から飛び降りて300円のおみくじを引く。 なるほど、金運の上がるコツが判ったような気になった。 300円も出して、外紙の金色紙の中身が、金色の小判のみ。 肝心のみくじは、金色紙の裏に印刷。 金運を上げるためには、商品はより高く売り、外見は派手に消費者の目を引くようなつくりにして、中身は合理的な作りにする。 ということか。 勉強になるなあ。 金神社(こがねじんじゃ) 岐阜市金町5-3 電話058-262-1316 FAX058-262-2865 https://www.geocities.jp/koganejinjya/ |
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甑岩 越木岩神社(兵庫県 西宮市) |
越木岩神社(こしきいわじんじゃ)の本殿の左側の参道を登ると正面にある岩社 岩社の奥に鎮座するのが越木岩神社のご神体 甑岩(こしきいわ) 高さ10m、周囲30mの花崗岩の大岩です。 甑岩は女神をお祀りしているそうです。 なので安産と子授かりの神。 甑岩の中に大阪城築城のために切り出そうとした大石(大岩)があります。 写真中央のゲーム機のコントローラのようなマークは、池田備中守長幸の刻印。 池田備中守「太閤さん この大石あげたのは僕やからね。」というアピール。 まあ 今でいうトレードマークか。 ところが、石工達が切り出そうとしても切り出すことができなかった不思議。 甑岩を後に道を登って行くと、丘のピークに写真の北の磐座(きたのいわくら)があります。 こちらは男神といわれているそうです。 磐座というと、やはり古代日本の磐座信仰。 |
越木岩神社の近くに知り合いが住んでいるので、通る度に何年も気になっていた神社です。 たまたま、参拝に行った日が「椿祭」の日で、本殿には色々な椿が奉納されていました。 また、野外ステージでは、殺陣の演武やフラダンスの奉納されていました。 そうそう、越木岩神社のご祭神は蛭子大神(ひるこおおかみ)で、またの名を「えびすさん」で、同じ西宮市を本拠地とする「西宮神社」より勧進して鎮座されているそうです。 ということは、越木岩神社は西宮神社系のえべっさん。 ということで・・・。 |
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岩戸社 白髭神社(滋賀県 高島市) |
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滋賀県高島市にある宝船温泉に向かうために、JR湖西線と並行して走る国道161号線を琵琶湖を右手に見ながら快適に走っていると、カーブを曲がると同時に琵琶湖の湖面に鳥居が見える。 いきなり、鳥居が見えると、これは車を止めなければならん。 深い理由は、まったくありません。 ここが、「近江の厳島」と謳われる白髭神社。 「♪空を突くような大鳥居」でもなく、鳥居の大きさで言えば、安芸の宮島 厳島神社や和歌山県の熊野本宮大社近くの大斉原の鳥居には遠く及ばないけれど、湖面に佇む姿は凛としている。 |
本殿の横の駐車場に車を止めて、本殿で二礼二拍手一礼。 本殿の横の斜面の小路を上へ上へと上がると「岩戸社」があります。 これは、天照大明神をお祀りされているのでしょう。 社の中は、穴が開いています。 では、岩戸社の前で、わたくしが一つストリップ(神楽)などをいたしましょう。 すると、「外が騒がしいのお。」と天照大明神がお出ましになるはず? と考えたのですが、たぶん、天照大明神がお出ましになる前に、 滋賀県警の警官がお出ましになるなあと、気が付いたので神事を取りやめる。 岩戸社は、全国至る所の神社にあります。 |
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小瀬石鎚神社 重岩(香川県子豆郡土庄町) |
姫路からフェリーに乗り、べた凪の瀬戸内海を快調に一路 小豆島 福田港へ。 ♪海の民なら 男なら みんな一度は 憧れた 瀬戸内の ベタ凪を フェリーは万里の波濤を乗り越えて進む。 快調 快調。 瀬戸内海で淡路島に次いで大きな島である小豆島(しょうどしま)の西端にあるのが小瀬石鎚神社です。 その小瀬石鎚神社のご神体が重岩(かさねいわ)です。 重岩は、大きな岩石の上に小さな岩石が乗っていて、絶妙のバランスで稜線上に鎮座しています。 三度目の正直で、初めて重岩に行こうとして大雨、二度目は台風、で今回三度目で登れました。 |
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上の写真は、出迎え不動の祠で、祠の中には不動尊が祭られています。 神社で仏様? ええの 日本は神仏習合の国。 明治政府が、西洋列強かぶれして城を潰して、鹿鳴館を建てて、神仏を分けた。 150年の時空を超えて、元の形になったのだ。 と。 さて、出迎え不動の祠の前は、駐車スペースがあって、6-7台は駐車できます。 車を降りて、出迎え不動の祠に自然と体が動きます。 出迎え不動が、重岩への登り口になります。 祠の左側が「出迎え道」と呼ばれていて、登り道となります。 祠の右側が「帰り道」となっています。 |
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出迎え不動を過ぎると、写真のように階段が整備されていて、讃岐の金毘羅さんかと思うぐらい段数があります。 |
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階段を登りきると、眼前に建物が見えます。 汗が滲みます。 とうとう重岩が見られると心ウキウキとなるのです。 |
建物のところに行くと、「重岩→」の看板が非情に立っているのです。 「ここじゃない。 もっと上やで」とせせら笑っているのです。 腹の立つ。 人間は、こうあってほしいと勝手な期待を持ちますが、その期待が裏切られた事実を受け入れると、一層汗が吹き出します。 ここまでは、ずーと尾根づたいの道で、重岩の看板から50メートル登ると稜線の道になります。 楽! |
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憎たらしい「重岩は、この上 疲れるやろ ハハハ」と看板が馬鹿にしとる。 看板から尾根道から稜線道を歩くと小瀬石鎚神社 重岩に到着します。 稜線の道を塞ぐように重岩が鎮座しています。 ホント不思議な光景。 320度のパノラマが楽しめます。 360度ではなく、重岩がある部分は見通しが利きません。 おう。 豊島も手が届く距離に見えます。 最初の感想は、小豆島観光協会の若い職員が夜な夜な集まって、この巨岩をここまで持ってきたと直感。 多分500トンや800トンはあるだろうから、それも無理か。 それにしても、絶妙のバランスで二つの岩が重なっています。 直下の賃貸物件を借りるときは、重要説明事項として、最初に説明をしなければならんよね。 「お客様 この物件の山の上をご覧ください。 大きな岩が見えますかね。 大丈夫だとは思いますが、一応、ご承知おきのほどを」と。 最後に「重岩は神の宿る石」とは、「重岩は花崗岩の方状節理」と言えば罰が当たります。 小瀬石鎚神社 重岩(香川県子豆郡土庄町) https://www.town.tonosho.kagawa.jp/kanko/tnks/info131.html |
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熊野本宮大社 大国石 亀石(和歌山県 田辺市) |
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さあさあ。 大国石と亀石の由来から。 と書けば賢そうなのですが、岩や石があればシャッターを切る習慣があり、後で見て「何 これ」という写真があります。 湯の峰温泉の写真の前に大国石と亀石が写った写真があったのと、グーグルで写真検索をするとどうも熊野本宮大社にあった石たちと判明しました。 なんしろ、3本の足を持つ烏に導かれてやってきた神社です。 松田東征。 神社の駐車場に車を止めたときは大雨。 車から降りた途端にピタリと雨が止み、虹が掛かりました。 これ実話です。 心と体は湯の峰温泉に、魂だけが熊野本宮大社に居ますので、悪しからずです。 大国石と亀石については、参道にあったものやら本殿前にあったものやら、記憶にありません。 |
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長々とお読みいただきありがとうごさいました。 |
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