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お寺で見つけた日本ならではの岩と石のご紹介。 お寺の岩と石で、生まれ変わったり、願掛けしたりと、信仰の対象として岩と石は全国にあります。 神社では古神道の磐座信仰から岩や石への信仰がありますが、お寺でも、岩と石が信仰の対象となっているのは、神仏分離された期間より神仏合体の期間が長かった名残りでしょうか。 |
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関守石 妙心寺 隣華院(京都府 京都市) |
関守石(せきもりいし)は、日本の岩と石 温泉編の大分県 長湯温泉で、ご紹介いたしました。 関守石は、「ここから先は入らないでください 亭主」という意味だとご紹介しました。 何 ここにもあるじゃないですか。 妙心寺の北総門を入ってすぐの塔頭である隣華院さん。 別称は「人形供養寺」。 下の写真で、1枚目は正門入口、2枚目は全体像、3枚目は関守石を拡大した写真。 でも、暗黙知として知らなければ、これは判らんわな。 やはり「邪魔やのう。 躓くと危ないので、通路の端に投げ捨てよ。投げ捨てに便利な用に石に紐も付てある。 親切なこっちゃ。」と成りますわな。 |
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石庭 龍安寺(京都府 京都市) |
京都市内の用事が早く終わったので、龍安寺に石庭を見に行きました。 龍安寺は、京都御所を中心にして北西エリアにある臨済宗妙心寺派のお寺です。 北西エリアは、比較的観光客が少ないエリアで穴場です。 はんなりと都を楽しみます。 では、龍安寺へ。 |
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参道を歩いて、正面に大きな寺の屋根が見えます。 左側に生け垣が窪地になったところがあったので、振り向くと、イケメンの仏像がありました。 どうです。 イケメンでしょ。 蓮の台座に鎮座されています。 不意に目に入る効果を狙ったのか。 そりゃ イケメンさんです。 石庭への期待感が本格的に膨らむここで、いきなり女性の心を鷲掴みにしょうとする竜安寺の戦術か。 憎いねえ。 イケメンさん。 |
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本部の妙心寺の塔頭にも、それぞれ石庭があります。 禅寺には必須アイテムなのでしょうか。 臨済宗の寺院では必須アイテムなのでしょうか。 とボーと思いながら石庭を眺めています。 石庭を見て内観するのでしょうか。 石庭を作庭する目的は何なんでしょうか。 と考えが纏まりません。 25メートルプールぐらいの広さですが、岩に打ち寄せる波、海岸の岩に砕ける波頭、潮風、何も感じられない。 これが無の境地と悟る。 ほんと、判らない。 |
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境内に鏡容池と言う大き目の池があり、寺の出口は、この池を周回して至ります。 周回路を歩いていると、「みくまり石」という看板があり、池端に2つの石が池から顔をだしています。 楠木正成(大楠公)の生誕地の千早赤阪村には、水分神社(みくまりじんじゃ)があり、田に入れる農業用水の管理(利水権)をしていました。 しかし、ここの水分石は、池の中。 どう言う意味? また無の境地か。 ちょうど仕込んだかのように、水分石に一羽の鳥が羽を休ませていました。 嫁が「鷺が居る。」と、これ以上ないのんびりとした口調で独り言。 鷺なのかな。 鷺には見えんがね。 ここは高倉健さんを決め込む。 容易に口を開けない。 あれが鷺でなければ詐欺やぞ。 と。 |
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六地蔵(兵庫県 豊岡市) |
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兵庫県 出石(いずし)に出石皿蕎麦を食べにやってきました。 出石城下で、いつも行くお店が決まっているので、今回は趣向を変えて「出石そば処 桂」さんと「そば義 鉄炮町店」さんの2軒の蕎麦巡りをしました。 出石そば処 桂さんは、蕎麦つゆが少し甘めで美味。 言い方を変えれば、出石皿蕎麦では珍しい蕎麦つゆ。 そして、鴨も絶品でした。 蕎麦本体、薬味、蕎麦つゆと分解してみても部材すべて美味しい。 私の常食の出石皿蕎麦は、「甚兵衛そば」さんと「一鶴」さん。 「甚兵衛そば」さんは、部材で言えば、蕎麦つゆが少し薄いのです。 と文句を付けながら薬味を蕎麦つゆに入れて、蕎麦をすすると、蕎麦の交響曲や!! 絶品のハーモニーで、すべてが和音で、とびっきり美味しいのです。 見方を変えれば不思議な出石皿蕎麦です。 部材の一部が駄目ならすべて駄目なはずなのに、それが抜群に美味しいのです。 褒めてお店が混むのは困りますが、貶してお店が無くなるのはもっと困ります。 「一鶴」さんは、蕎麦はしゃっきりとしていて、深みのある蕎麦つゆで、とびっきり美味しいのです。 すべての部材が、それぞれに美味しいのであれば、結論は「美味しい」と納得の結果です。 変わったところでは、出石皿蕎麦でも南枝系と私が呼んでいます。 鰹出汁が引き立っている蕎麦つゆで鰹好きの方には堪らんでしょう。 南枝本店は閉業しましたが、南枝を名乗るお店が別店舗で営業されています。 南枝系(南枝さんとの関係は判りません)では、近又さんが比較的入りやすいです。 蕎麦談義は止めて、写真に戻りましょう。 上記の写真は、「そば義 鉄炮町店」さんの横にある六地蔵です。 写真にオーブが写っていますが、これは逆光で発生する光学オーブなので悪しからずです。 私には光学オーブを消す霊力はありません。 |
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人が亡くなると、7日ごとに公判が開かれ、公判は7回開廷されます。 都合49日目に閻魔大王から判決を言い渡されます。 その判決文で進むべき道が言い渡されます。 この裁判制度は、一審制ですので、「裁判長(閻魔大王) 異議あり!!」は認められません。 不当判決も再審の道もありません。 進むべき道は、地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、人道、天道と六道あります。 地獄道へ進むと決定した人は、主文は最後に言い渡される傾向にあります。 六道の分かれ道が六道の辻で、保安要員の鬼が、判決文の道へ追い立てます。 その道ごとに一体づつの地蔵が担任しています。 六道ですから、六体の地蔵で「六地蔵」となります。 地獄道、餓鬼道、畜生道、修羅道、を担当した地蔵さんは、被告人を助ければ閻魔大王が下した判決を逸脱することになるので、地蔵さんは人を救うと、違法行為にならないのでしょうか。 六地蔵は全国至る所に鎮座されています。 地名にもなっています。 有名なところでは、京都の六地蔵。 大分の別府の地獄めぐりに行った時、もうすぐ本物の地獄も観光に行けそうな人が居るのに笑いました。 何も金掛けて別府まで来なくても、もうしばらくすればリアル地獄が見れるのに。 と。 私だって、いずれは法廷に被告人として立つ身で、よく「万が一の時は」と生命保険の営業の人が口にしますが、これ10000分の1の確率ではなく、1分の1の確率なんです。 確実に。 そう思いませんか。 10000分の1の確率なら、生命保険など考えません。 「地獄の沙汰も金次第」という言い廻しもあるので、閻魔大王に渡す賄賂でも娑婆で稼ぐかな。 閻魔大王とネゴシエーションする時のためにディベートでも勉強するかな。 それとも、偽善を重ねて、天道へのアピールポイントを今のうちに作っておくべきか。 と考えていると、地獄道行き決定か。 |
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仰向け地蔵 西廣寺(兵庫県 西宮市) |
兵庫県西宮市の「水天宮 西廣寺」は、地元の方から「水天宮さん」と呼ばれて親しまれている真言宗のお寺です。 正月に、前年貰った磁器のかえるを持っていくと今年の磁器のかえるに交換してもらえます。かえるの意味は「無事に帰る」と「お金が帰る」でかえるは財布に入れて1年間持ち歩きます。 次の正月に、新しいかえるに交換に行きます。 しかし、私の財布に居るかえるさんは、外交的で、一旦出て行ったお金が帰ってきた試しがありません。 どうなっとるのか! 紙幣に住所と名前と連絡先を書いとこかな。 と真剣に検討する。 |
水天宮 西廣寺(兵庫県 西宮市)の霊蛙 一対(令和3年度) 水天宮 西廣寺(兵庫県 西宮市)の霊蛙 一対(令和4年度) 今年は霊蛙さんの色の意味合いのチラシも入っていました。 |
霊蛙 一対は300円ですが、お正月に限って前年の霊蛙を持って行くと無料で今年の霊蛙に交換していただけます。 しか〜あし、私は本堂の賽銭箱や他の社(神社じゃないので何と言えばいいのかわかりません)に自然と300円以上のお賽銭を上げています。 こんなに自然に浄財としてお金を差し出すことの出来る寺院も少ないと思いますよ。 |
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私は正月にここと湊川神社にお参りします。 神道でも真言宗でもないのですが。 西廣寺のように地元の方々に愛されているお寺というのも珍しいと感じます。 決して大きな敷地とは言えませんが、境内には、至る所にふぅーんと唸りたくなるものが沢山あります。 寺門を入って本堂から左側を歩くと「仰向け地蔵」の祠があります。 |
寺門を入って正面に本堂 |
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水天宮 西廣寺ホームページの仰向け地蔵の説明文。 自然石の地蔵菩薩は、仰向け地蔵尊と呼び、明治三十五年(一九〇二年)当山中興第九代、役信和尚が、丹波行脚の折、夕闇の河原で光輝く物を見つけ、近寄って見ると、風雨増水にさらされ、痛々しい御姿の石仏でありました。そこで、当山にて御奉祀しようと思われ、この石仏を背負ったところ、不思議にも容易にお運びすることが出来、当山に安置されることとなった。それから数日後、役信和尚の夢枕に『我を仰向け地蔵と呼ぶがよい。願いがあれば背中を撫でて頼むがよい。身体の痛いところ、悪いところがあれば、背撫でしたその手でそこを撫でるがよい。』とお告げになり、その後、諸方行脚の折、人々にこれを説かれ、参拝される方も多く、『仰向け地蔵信仰』として崇められ、多くの方がご利益を戴かれることとなった。 出典:水天宮 西廣寺ホームページ と説明されています。 母方実家が真言宗で、祖父の葬儀のときに、餅で人型を作って「悪いところや痛いところがあれば、その部分の餅を食べなさい。 おじいちゃんが持って行ってくれるよ」とお坊さんが言われて戸惑ったものです。 いくら何でも、自分の痛いところをあの世に持って行って貰ってどうするのよ。 あの世にも路はあるだろうし、三途の川の渡渉、路は徒歩の可能性も高い。 あの世にフェリーや高速道路が出来たというのは落語の中だけ。 そりゃあんまりだ。 とお坊様(導師)を睨みつけていると、「早く やれ」と顔に書いてある。 ので、クラブ活動で右足の靭帯を痛めていたので、人形の右足のその部分を食べました。 不思議なことに、食べてしばらくすると本当に右足の痛みが消え去りました。 というか、気が付けば痛みがありませんでした。 祖父に感謝。 その経験があるので真言宗には一目置いています。 母方が真言宗。 高野山も真言宗。 もっとも尊敬する歴史上の人物である楠木正成(大楠公)も地理的にも人脈的にも真言宗の可能性が非常に高いそうだし。 ね。 |
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北条の五百羅漢(兵庫県 加西市) |
石川県氷見市の神代温泉(こうじろおんせん)で、「神戸からですか」といきなり声を掛けられて温泉談義で盛り上がった人が兵庫県加西市(かさいし)の人。 多分、車のナンバープレートで生息地がバレたのでしょう。 加西市に興味が湧きました。 加西市は中国自動車道の加西SAでお土産を買う程度なので、加西市に立ち寄るために一般道を西へ西へ走ることにしました。 今回の最終目的地は、兵庫県宍粟市(しそうし)にある「よい温泉」です。 加西市の北条鉄道北条駅を過ぎたころ、「五百羅漢→」の看板が立っています。 体は「よい温泉」に向かい、気持ちは五百羅漢へ向かいます。 |
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必ず五百羅漢の中に親や子に似た顔があるといわれている そうです。 私の自己評価は草刈正雄似です。 他人の評価は、 若い時には前田吟さんによく似ていますね。 今は、西田敏行さんによく似ていますね。 と言われます。 この場合の考え方としては、自己評価を優先させるほうが、万事上手くいくのです。 この問題については、母親は一切無言です。 おそらく、製造物責任に基づく訴訟リスク回避のためと推察することが出来ます。 結局、草刈正雄さんに似た羅漢様はいらっしゃいませんでした。 すなわち、私に似た羅漢は居なかった。 残念。 |
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近年、環境の変化で既存の五百羅漢の顔が崩れてきているそうで、近所の方が新しい石仏を彫っていらっしゃるそうです。 新参の石仏は、五百羅漢に参加せずに、少し離れたところにポツンと安置されています。 1日でも早く、五百羅漢の仲間入りが出来れば、寂しくないでしょうね。 |
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くぐり岩 石山寺(滋賀県 大津市) |
石山寺 「くぐり岩」 |
石山寺の山門を入ってすぐ右手に「くぐり岩」があります。 「このあたりの岩はすべて大理石である奇岩怪石の幽邃の境中天然自然に体内くぐり状態をなすこの池は天平時代のものである」と立て看板に説明がありますが、さっぱり要領を得ません。 写真中心の岩穴から入って、左手側から岩の中を通り抜けられます。 「胎内に戻って、生まれ変われます。」という意味と解釈して、遣って見ました。 髭も変化していませんが、生まれ変わったと言い聞かす。 |
石山寺 天然記念物 硅灰石(けいかいせき) |
石山寺の名前の由来になった石山で大正十三年三月に天然記念物に指定されました。 フリクションが効きそうな岩肌で、へき開が縦、鋭角的。 スリップすると怪我しそう!! もちろん 天然記念物で岩登りの練習場ではありません。 |
石山寺 大湯屋 |
参拝コースの最後のほうにあります。 これを撮りに石山寺まで来ました。 東大寺の大湯屋の半分程度のスケール。 内部は入れず。 「大湯屋はどこですか?」と石山寺の職員?に聞いても「知りません」とのこと。 ここで、施湯をしていたのか? 今でこそ、お風呂のスイッチをポンと押すだけで、お風呂は沸きます。 昔は牧を割って、水を湯舟に入れて湯を沸かしてと一代エンターテインメントだったことでしょう。 中が見えないので判りませんが、時代からみて多分、この大湯屋は蒸気風呂のはず。 お風呂一つでも、苦労して入っていたのだと感慨ひとしお。 |
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弥勒石 高野山奥の院(和歌山県 高野町) |
高野山 奥の院 弥勒石 |
奥の院への参道の左手に、小さな祠がり、「弥勒石」と標識があります。 |
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祠の中に石があり、これが「弥勒石」です。 祠の口は片手が入る程度の大きさで、内部は2段になっています。 下の段にある弥勒石を上の段へ片手で移すと「願い事が叶う。」と言います。 「片手で移す」と書きましたが、1つ上の写真を見てもらえば判りますが、片手しか入りません。 「罪の軽い人は弥勒石は軽く、罪の重い人は重い」とか言われています。 これをそのまま解釈すると、多くの男性は罪が軽く、女性は罪が重いという結果になります。 男性のほとんどの人は軽々と弥勒石を移動させますが、女性には少し重たそうです。 何度も高野山にはお参りに行っていますが、確かに重いときと軽いときがあります。 まさか 「明日は罪の重い日」にしようと夜な夜な石を入れ替えている? |
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高野山 弥勒石(和歌山県 高野町) |
多くの人が、弥勒石を下から上に持ち上げるので弥勒石の表面はツルツルになっています。 さあ 罪が重いか軽いか やってみてください。 |
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大谷祖廟(京都府 京都市) |
黒鞍馬石 |
大谷祖廟(京都市)にある黒鞍馬石 |
瀬田虎石 |
大谷祖廟(京都市)にある瀬田虎石の説明版 瀬田虎石 グランドジョラス北壁 ヨーロッパ3大北壁の1つの壁に北アルプスの一般登山道にある〇やXの 案内があるかどうか知りませんが、妄想の世界ですので何でもありと。 ↓ 実はこの石 庭石で妄想するのも楽しみです。 この石も大谷祖廟の庭石 |
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子安観世音(京都府 京都市) |
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左側の大きな通りが今出川通り。 子安観世音(石仏)は右下の祠に鎮座。 子安観世音は、東側(東山側)を向いています。 今出川通を奥(西)へ行くと京都御所の北辺。 手前(東)に行くと銀閣寺。 子安観世音の北側は京都大学。 友人が1人、学士山岳会で梅里雪山から帰ってきたらしい。 登山計画書の下山予定から何年経ってんねん。 東京大学へ行ける実力があって、京都大学へ入学。 その心は「京都大学に入学が目的ではなく、学士山岳会へ入るため。」 何という贅沢。 あいつのこっちゃ、又、生のニンニクスタミナ学説で中国の山を走り廻っとるやろ。 あれから、かれこれ30年か!! 早いところ下山して来い。 子安観世音の南側は吉田山。 ♪都の花に嘯けば 月こそかかれ吉田山。 「逍遥の歌」は、呑んだら院卒のおっさんの十八番やったなあ。 うるさかったなあ。 京都の街中に、なんでこんな大きな石仏が無造作にあるのかずーと不思議。 |
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後ろのマンションが修繕中でコントラストがなく比較物が無いので大きさも判りにくい。 子安観世音の横のカラーコーンは約40㎝です。 恐らく子安観世音本体は120㎝ぐらい? 京都市内には、町内ごとに「お地蔵さん」が1体は必ずあります。 毎年8月は、「お地蔵さん」を囲んで子供たちのために地蔵盆が各町内で開催されます。 |
京都の冬は底冷え、夏は酷暑。 艱難酷暑。 鎌倉時代から、じっとこの地で人々を見つめていたのでしょう。 |
子安観世音 ここは昔から白川の村の入口に当たり、東は山を越えて近江に向かい、洛中へは斜に荒神口に通じていた。 また、出町から百万遍を経て浄土寺へ向かう細道との交差点でもあった。 この堂々たる鎌倉期の石仏は「捨遺都名所図会」に希代の大像として描かれている弥仏像であるが長い歳月の間にかなり風化が見られる。 古来子安観音として町の人々の信仰があつく今も白川女は必ずここに花を供えて商いに出る。 [出典:子安観世音の説明看板] 京都のことを知らない人のために、 荒神口:今出川通りを写真の奥へ進むと、河原町今出川という交差点があります。 それを南側に行くと荒神口があります。 出町:現京阪電車「出町柳」から、西へ200mほど行くと、枡形商店街を中心とする商店街を「出町」と言います。 出町といえば、「ふたばの豆大福」が美味。 いつも並ばなければ買えませんが、必ず買います。 百万遍:子安観世音から河原町今出川に出るまでにある最初の大きな交差点。 百万遍と河原町今出川の間にあった学生ばかりが客の山盛りスパゲティ屋さんは、すでにありません。 捨遺都名所図会:これは知りませんでしたので、こちらで→捨遺都名所図会 白川女:京都北部の八瀬や大原から芝や農産物、漬物などを京都市内に行商に来ていた女性。 白川女は、こんな恰好で品物を販売していましたが、昭和40年ごろまでは、このスタイルをこの目で見たことがあります。 こちら→白川女 子安観世音の説明看板を読むであろう対象が、古いので周辺の地元民用なのでしょうね。 不親切な説明。 すでに外国人観光客用に英語の説明を付記しなければならない時代になっているのに!! 折角 万里の波頭を乗り越えて来た日本なので、外人さん これ見てね!! これに気付くと日本通に認定。 しかし鎌倉時代の石仏が無造作にあるとは。 恐るべし京都の街。 |
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子安地蔵大菩薩(兵庫県 豊岡市) |
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子安地蔵大菩薩は、兵庫県豊岡市岩中に鎮座されています。 円山川温泉に通う途中の県道横にあり、夕暮れや曇りの日に御堂の中に得体の知れない物が一瞬ちらと見えます。 「何?」以前から気になっていたお地蔵さんです。 京都の舞妓さんは白粉で顔は真っ白、口元は真っ赤なルージュでおちょぼ口を演出。 舞妓さんの化粧は、行灯のほのかな明かりの中で、もっとも映える化粧だそうです。 現代の照明下では、どうなんだろうなあ。 と思っていた矢先に、この子安地蔵ですから気になります。 |
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子安地蔵大菩薩の全体像。 私が気になる石仏は、子安地蔵が多いことに気が付きました。 仏様は天上界から人間を助ける。 対して、お地蔵様は地獄に戸籍をお持ちなので、地獄から人間を救っていたただく存在です。 ところで、お地蔵様の戸籍抄本は、地獄の役所で上げるのか? あの世も機械化が進んで、マイカ―ドをインプットすると戸籍抄本が機械からアウトプットされるかも。 「地獄市六道筋3丁目5-2 湯灌レジデンス602」とか。 もちろん、市長は閻魔大王で、選挙で当選したわけではないので民主的ではないだろうね。 お地蔵様が気に掛かるということは、死ぬと「いらっしゃいませ。 どうぞ 奥へ。 ご遠慮せずとも どうぞ 奥へ」と地蔵に愛想よく挨拶されるのは如何なものかと思う。 黒服の不動明王に席に案内されて、天女に「いらっしゃいませ。 お待ちしてたのよ。」と御手拭を渡されながら、にこやかに挨拶されるのを望む。 |
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神戸から国道312号線を北上して赤崎の交差点を右折して、しばらく走ると右手にポツンと、上記のような御堂があります。 ポツンと子安地蔵大菩薩があります。 不思議な感覚です。 |
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瑞厳寺磨崖石仏(大分県 玖珠郡九重町) |
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カーナビが「目的に着きました」とアナウンスしてくれなければ判らない。 目前に「瑞厳寺磨崖石仏」と立て看板があります。 瑞巌寺というお寺があって、山門が有って本堂があり、その奥の岩壁に石仏が掘られているのだという勝手なイメージを持って行くと肩透かしに遭います。 上記看板の反対側にいきなり石仏が見えます。 |
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片側1車線の県道を挟んで、御堂があります。 奥行は、10mほどの狭さ。 「おいおい ここまで来て、これかい!!」と思ったのが正直な第一印象。 中央の階段を上ると、御堂に瑞厳寺磨崖石仏が祀られてます。 |
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全体像を解説している九重町教育委員会の看板です。 不動明王の下の2,26Mは、石仏の高さを表しています。 2メートル26センチ。 |
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敷地というのが正しいのか判りませんが、敷地内は地元の方々の石仏をお守りしている様子が手に取るように判ります。 朝夕、石仏にお参りに来られるおじいさん、おばあさんの姿が見えるようです。 こりゃ 「おいおい ここまで来て、これかい!!」の第一印象をもったまま堂内に入ると不敬極まりないと反省。 襟を正して敬意を持って石仏に接しなければいけない威厳を感じます。 |
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しかも、中心には不動明王が鎮座(岩壁に掘られているので鎮座?)されています。 不動明王は私の守り神で、右手に三鈷剣(さんこけん)、左手に羂索(けんじゃく)をお持ちなのが一般的なのですが、瑞厳寺のお不動さんは左手に羂索をお持ちでないようです。 風化してしまったか? |
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不動明王といえば荒々しいイメージがあります。 ここのお不動さんは、静かに見守って頂いているような座像です。 土台となっている盤石は風化により明確ではありませんが、そこは味だと解釈。 地元で大切にされている仏像は、地元の方々の祈りを一身に受けて穏やかなお顔。 観光ポスターに登場してくる国東半島の磨崖仏より、地元で信仰されて素朴で親しみやすい仏様。 |
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東大寺 大湯屋(奈良県奈良市) |
東大寺 大湯屋(奈良県奈良市) |
上の写真は、二月堂から道なりに降りて来たら左手に東大寺大湯屋が見えます。 手前の田んぼも、意味があるそうですが、聞き漏らしました。 何故、聞き洩らしたのか。 それは前に居た団体客の最後尾から盗み聞きしていたから。 下の写真が東大寺大湯屋です。 この角度から撮影した写真がインターネットで少なかったのでこの角度から。 二月堂にも湯屋があり、内部を外から撮影しましたが、まったく何も写っていませんでした。スミマセン。 多分、この時期の湯屋は、浴槽に入浴するのではなくサウナ形式の浴場だと思います。 |
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清水磨崖仏(鹿児島県 南九州市) |
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国道だか県道だかを走っていると「清水磨崖仏→」と標識がありました。 清水磨崖仏(きよみずまがいぶつ)の質量が大きいのでしょう。 その引力に逆らうことなく自動車は清水磨崖仏に引っ張られて行きました。 多分、阿弥陀如来か不動明王、または大日如来あたりが掘られているのだろう。 と不敬千万な物言い。 清水磨崖仏の遠景です。 中央に見える岩壁に磨崖仏が刻まれています。 と思い込みのまま、近づいて行きました。 |
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あら、阿弥陀如来も不動明王も、はたまた大日如来もいらっしゃいません。 最初に目に入った岩壁に五輪塔がズラーと刻まれています。 「これは室町時代の五輪塔は、当時の習慣として生存している間に自分の供養をするために彫られたものです。」南九州市教育委員会の楯看板より。 |
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もっとも大きな五輪塔には梵字が刻まれています。 非常に不思議な空間です。 廻りは公園として整備されているので、とても良い環境なのですが、磨崖仏のこの場に居ていていいのかチョット不安です。 なんとなく。 私では、説明できないので、南九州市教育委員会の楯看板から、抜粋した内容を記載して知ったかぶりを決め込みます。 ・彫刻されたのは平安時代の終わりから鎌倉時代の初めと推測されています。 ・この大五輪塔は日本一の大きさ。 ・下から地輪、水輪、火輪、風輪、空輪という形で出来ていて仏教でいう世界を形作る5つの要素を表します。 ・中に墨で5000文字以上の文字が確認されていますが、今はほとんど読み取れません。 ・誰が、どのような目的で彫刻したのは不明です。 |
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弥勒菩薩座像 宝山寺(奈良県 生駒市) |
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宝山寺は奈良県生駒市にあるお寺で、大和十三佛巡りで訪れました。 母親の断っての願いで、運転手として訪れました。 いやあ。 奈良の寺院は良いですね。 道路は空いているし、寺院の参拝客でごった返していることもありません。 しかも、多くの寺院で拝観料が要りません。 自分で気に入ったと思ったら、拝観料替わりにお賽銭を志納する。 お賽銭の額は、100円から10000円まで。 清水の舞台から飛び降りて実績は500円までですが・・・。 これが、本来の寺院に対する志納だろうね。 と。 拝観料を盗る寺院では、拝観料にすべての代金がパッケージされていると解釈しています。 なので、拝観料を支出したときはお賽銭をビタ1文も出しません。 死んで閻魔大王に「お前 お賽銭 出してないだろう。 え。」と尋ねられたら、私の道理をトウトウと説明するまで。 「拝観料はワンパッケージの料金。 何か文句 ある?」と。 これは、閻魔大王の心象を悪くするでしょうね。 「罪一等を増やして地獄行きじゃ」と。 車でお出掛けすると参道を通らずに、いきなり祈願受付所の前に到着。 なので参道にどんなお店があるか判りません。 しかも、駐車料金も要りません。 大和十三佛巡りのお寺は、1つ1つの寺院に特徴があって素晴らしい、仏様の鑑賞も時間を気にせずにゆっくりと観れます。 そのなかで、敷地内に非常にコンパクトに纏めれた宝山寺、境内から仰ぎ見れば、山の中腹の岩肌に弥勒菩薩座像が鎮座されています。 弥勒菩薩座像を近くで拝める山路もあります。 どうしても、登り切れない人のために遥拝所もあります。 岩肌の弥勒菩薩座像は、無性に有り難いと言う感情が自然に沸きます。 上手い構成だと感心仕切り。 |
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志比線刻磨崖仏(福井県 永平寺町) |
永平寺のお土産は「おみやげ なかむら」でお買い上げください。 |
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永平寺(福井県 永平寺町)の門前から国道364号線に出た途端に、右側に看板「志比線刻摩崖仏」と。 これは立ち寄らない手はありません。 解説の立て看板には、9体の摩崖仏が岩面に彫られていると解説されていますが、目を凝らしても上記写真のとおり2体のみしか確認できました。 9体中2体のみということは発見率22%。 私が亡くなると成仏率22%? まあ ええわ。 これを読んでいる人に乗っかれば。 |
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志比線刻摩崖仏の周りに、記念碑が建立されていました。 摩崖仏の左右に6-7本あります。 その中の1つが上記写真。 「故陸軍歩兵上等兵 勲八等功七級 橋本春吉碑」と正面に刻まれています。 石碑の側面には「明治三十八年 三月三日 戦死」とあります。 調べると、明治三十八年三月三日は日露戦争に於ける奉天会戦だと判明。 奉天会戦で戦死されたご英霊の方。 まだ、疑問が残ります。 何故、志比線刻摩崖仏の周りに建立されているのか。 正面の俗名の下に「碑」とあるので、これは「記念碑」なのか、「顕彰碑」なのか。 それとも「お墓」なのか。 お墓ならば、石碑の下の石積みにご遺体があるのか。 石積みの大きさからすると、この地域の当時は土葬なのか。 お墓なら墓石の天辺が草蒸して可哀そうじゃないの。 と、悩んでいても解明できないので、永平寺町商工観光課で確認しました。 永平寺町商工観光課でも判らないので、なかむらさんと言う方を紹介いただきました。 色々と質問をさして貰って、志比線刻摩崖仏のことは判りましたが、陸軍歩兵上等兵のことは判りません。 根掘り葉掘り質問したのでナカムラさんにご迷惑をお掛けしました。 営業時間中にも拘わらずご対応いただきましたので、「永平寺のお土産は「おみやげ なかむら」でお買い上げください。」と、このページをご覧頂いている方にお願い。 もし、お墓で、この記事が迷惑だとお感じになるご遺族の方がいらっしゃれば、ご連絡ください。 即刻、削除させていただきます。 |
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長々とお読みいただきありがとうごさいました。 |
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